ボクは許すけどね

先日、駅前のATMが置いてある銀行の出張所に入ろうとしたところ、向かいから大学生と思しき男がやってきた。手を袖で覆って口元に当てるのが癖で、前髪が邪魔な場合は女性用のヘアクリップで止めそうなタイプの青年で、こちらに気づいた途端、歩みを速めてそそくさと出張所に入っていった。わたしは、え、そういうことするの、と一瞬狼狽えた。急いでいたのか待たされるのが嫌だったのか知らないけれど、こういう場合、お互いに一度どうぞどうぞと譲り合うのが物事を気持ち良くやり過ごすための作法ではないのか。そしてそれがマナーというものではないのか。一体君は何を考えとるんだ、という調子で腹を立てつつも、こんな些細なことにいちいち腹を立てるのも馬鹿らしいとも思うし、だけどなんだかなあ、みぞおちあたり気持ち悪いんだよな、まあいいけど、ああでもこれって怒りの感情だよなぁ、というのを繰り返して今日に至る。

何事に対しても大らかでいたいし寛容でありたいと願っている。しかし、人としての器が茶碗をひっくり返したときの底の部分程度しかないので、自分が不当な扱いを受けるとやはり腹が立つ。腹が立つけれども、何事にも寛容でいたいし、いつも微笑みを浮かべていたい。これを同時に叶えるのは、もはや許すという行為しか残されていないだろう。

許すという行為によって、怒りという負の感情をポジティブな気持ちに昇華することもできるし、自分が相手よりも優位に立ったような心持ちになれる。だがしかし、今ここであの青年を許したところで、彼が私によって許されたのだという事実をを知る由もないのだから無駄である。どちらが優位に立っているのかお互いがきちんと把握する必要がある。だからあのとき、抜け抜けとATMの操作をしている青年の耳元で「ボクはキミのこと許すけどね」と囁くべきであった。

しかし実際にこれをやったら本当に気持ちが悪いと思う。三日間ぐらいはトラウマが残りそうだ。逆の立場だったらと思うと寒気がする。こんなことを考えている自分に対して心から情けなく思う。まったくもって人の世はままならない。気持ちの良い人にわたしはなりたい。

 

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