リズム論のためのメモ

1. なぜスネアの音量を小さくするのか

まず今わたしたちが取り組もうとしていることは一つのループの中にどれだけダイナミズムを持たせられるのかということです。ダイナミズムは躍動感と言い換えることができるでしょう。決してAメロBメロサビ大サビというような長いタームにおける起承転結で聴かせようとするものではないです。念のため確認しておきます。

ハリウッドのアクション映画のような派手な爆発というよりは、同じ爆発でも、自動車のエンジンのシリンダー内部で繰り返し行われる小さな爆発のほうが好ましいです。力ずくで物をぶっ飛ばすのではなく、小さな力の連動で何か重たいものを動かしてみようという試みです。「北風と太陽」みたいな話ですが。

ダイナミズムについてです。

1小節ないし2小節という単位をビリヤードの台に、一つの音符をビリヤードの玉に見立てます。

ビリヤード台を行き交う玉の動きと玉の描く軌道の長さがダイナミズムとなります。例えば、同じサイズのビリヤード台を二つ用意し、片方に通常のビリヤードの玉を、もう片方にはボーリングの玉をそれぞれ16個拵えてビリヤードをやるとします。この場合、どちらの玉がよりスピーディで長い軌道を描くのか…ということを考えてみてください。その答えは言わずもがなでしょう。

小さい音というよりは小回りが利く軽くて硬い音といったほうがより正解に近いかもしれません。余韻が残る輪郭のはっきりしない音ではなく、アタックがはっきりしていて、さらに音の減衰が早いほうがより好ましいということです。

スネアに限らずベースの音に関しても、例えば「ブヨヨヨオオン!」という音よりも「ッボン!」というスッキリしていて輪郭のある音が今回の取り組みには適していると思われます。

休符はいうなれば、ボールが軌道を描くための空間です。ダイナミズムを表現するのに欠かせない要素なので、休符つまり音と音の間をしっかりとコントロールすることが重要です。さらに休符は、お手玉しているときにお手玉が手を離れて空中を舞っている状態のようなもので、決して静止ではなく、位置エネルギーと運動エネルギーを携えたものだと考えてください。

そして、一度空中に放たれたお手玉が重力に従って落ちてきたところをキャッチし、またすぐにぽんと放ってやるのがお手玉という遊びです。当たり前の話ですが、キャッチしなければそのまま地面に落っこちます。音に関しても一度鳴らした音はしっかりと自分でキャッチしなくてはなりません。例えばキックで空中に放ってスネアでキャッチするといった具合に。

お手玉をして大きな軌道を描こうとするなら、スピードをつけてお手玉を空中に放らなければなりません。楽器の演奏の場合も同じ要領で一音一音を早く美しい動作で、例え音価が短くとも伸びやかに発する必要があります。

音ゲーのようにしかるべきタイミングで音を出せば良いというものではありません。一音一音が歯車のようになって相互に影響を与え合うからこそリズムという大掛かりな装置が駆動するのだと私は考えます。

2. なんのためのシンコペーション?

わたしは日頃からギャルたちが踊ってくれたら良いなと思って曲作りに取り組んでいます。この際ギャルじゃなくても踊ってくれるのであれば誰だろうと構いません。しかしまあ、言ってみれば、人は皆根源的にはギャルではありますが…

「猫ちゃん大集合」では4拍目の手前、3拍目の四つの16分音符のうち最後の16分音符がスネアを鳴らすタイミングとなっています。これはいわゆるシンコペーションです。

シンコペーションにはどのような狙いがあるのか説明したいと思います。

ランニングをしている人に背後からこっそり近づいて服を掴んですぐに離したとします。そうすることでランニングしていた人は前方によろけると思います。電車に乗っていて急ブレーキがかかったときの動きと同じです。シンコペーションとは突然の急ブレーキのようなものだと考えてください。

踊りはただの直線的な上下運動ないし前後運動では単調だし、あまりセクシーではありません。シンコペーションによるよろける感覚は単調な踊りに対して刺激を与えて予定調和とマンネリを打破するものです。わたしがシンコペーションを多用する理由はそこにあります。

ランニングする人への嫌がらせ行為の例を続けます。ランニングしている人が、走ったり歩いたり立ち止まったりといったことを短い期間にランダムに繰り返していた場合、後ろから服を引っ張ったとしても、よほどタイミングが合わない限り、前へよろけてはくれないでしょう。この人には一定の速さで走っていてもらわないと困ります。ステディなビートを刻むことは一定のスピードで走ってもらうためのガイドを示すことと同じです。さらに、ステディなビートはシンコペーションへの誘い水となり、シンコペーションをより効果的なものにすると考えられます。

また、ステディなビートによって示されるガイドは、よろけた後の最初の一歩を安定させるためのものでもあります。そのまま転ばせてしまっては傷害事件にもつながりかねません。誰かに気持ち良くイタズラを受けてもらうためににはその後できちんとフォローする体制を整えておく必要があります。

「スイングする」とか「ハネる」といった感覚も、この「引っ張って離す」という動作に近いところがあると思います。また「スイングする」とか「ハネる」とは別に、個人的に「グルーヴ圧」と呼んでいるものがあります。ホースの先端を絞って水の勢いを強めるようなものです。その話はまた別の機会に。

3. そのフォルムのようなもの

次は一番言葉にしにくく、同時に一番の肝となる部分です。

譜面に書き起こすことができるフレーズやパターンと呼ばれるような音の連なりはリズムの表層にすぎないと考えます。

ホームページなどの「問い合わせフォーム」を思い浮かべてください。「問い合わせフォーム」は目的を果たすために機能するように作られています。見えている部分からは確認できませんが、裏側にはPHPやHTML、CSSなどで記述されたソースがあります。

あえて図式的に示してしまいますが、音楽の場合においても、何らかの機能を果たすために作られています。今回の取り組みにおいては「ギャルを踊らせること」がその機能となります。

フレーズやパターンを単になぞることは、問い合わせフォームの例で喩えるなら、イラレやパワポなどで見た目の部分だけをデザインするにすぎません。もちろん見た目のわかりやすさや美しさも大事ですが、メールアドレス記入欄に書かれた情報をデータベースに格納したり、送信ボタンをクリックしたら受付完了ページにジャンプするといった本来の機能を果たさなければ何の意味もありません。

では、音楽において問い合わせフォームのソースに当たるものは何なのでしょうか。これが一番難しいところです。わたしはそれをリズムのもつフォルムのようなものだと考えています。

フォルムは文字通り型のようなもので、円形だったり波形だったりするのかもしれませんが、何せ身体的な感覚に依るものなので具体的にこういうものだと指し示すことが難しいように思われます。

そのフォルムのようなものは、それぞれの民族の営みの中で育まれてきたものでしょうが、程度の差こそあれ、部外者が後天的に会得することも可能であると考えます。音楽を聴いていてふと「鉄棒の逆上がりできた!」「補助輪なしで自転車に乗れた!」といった感覚に似た、思わず会得したぞと感じずにいられない瞬間が訪れたことがあります。リズムが表す波長に自分の体の動きがぴったりはまった瞬間といいましょうか。この経験は少なからず演奏に反映されるものだと考えます。

リズムに波長を合わせようとするとき、わたしの場合は、モノの本に書かれていたことを参考にして、拍のオモテで首を前に突き出し、ウラで引っ込める動きを繰り返します。その際、ドラムを例にとるなら、まずキックの音が首と頭の境目あたりに、スネアの音が鼻の奥から頭頂部にかけて共鳴していることを意識します。共鳴を意識することで身体が触媒となり、各楽器の発する一音一音が伸縮する様がイメージできると思います。

この前後運度を行う際に、首あたりから身体中に伝播していくときのうねりのようなものを波形として捉えたものがフォルムであると言って良いかもしれません。

リズム・パターンにはそれぞれ固有のフォルムがあると考えます。そして、フォルムはフレーズに先立つものであるとも考えます。ここはあえてフレーズはフォルムが表出した一部分に過ぎないと言い切ってしまいます。地中に埋まった根の部分も含めて一本の木ということです。根は木の自立を支える上でなくてはならないものです。

フォルムをおざなりしたまま曲の練習することは、あわよくばツールドフランスに出場しようと考えている人が自転車の乗り方を覚える前にひたすらエアロバイクで足を鍛えるようなものではないのかと近頃心配になり、今回このように文章にして確認してみました。

例えばカウントを取る時点でその曲のもつフォルムを示していてほしいわけです。ただ静止した点が4つあれば良いというものではないように思います。このあたりはパーカッション奏者の浜口茂外也がインタビューで語っているので読むと参考になると思われます。

http://topic.auctions.yahoo.co.jp/music/guitarlabo/hamaguchi/hamaguchi02/

個人的には音楽を聴いていてこのうねりのようなものに身を委ねているときが一番心地良いです。どうにかこのうねりのようなものを自分でも演奏して表現できないかと思っています。

ここから先はもうなんと言って説明して良いのかがわかりません。下手な根性論やオカルトめいた繰り言でごまかしたくはありませんが、もはや「フォースを使え。感じるのだ。」という他ありません。この前送った「研究用音源」を聴いて参考にしてみてください。

ライブを見て「ジェットコースターのつもりで期待して乗り込んでみたら、椅子の背もたれの部分が肩たたきやマッサージをしてくれただけだった…」なんてことを言う人もいるかもしれませんが、まあ仕方がないことですね。帰り道に、なんか体がポカポカするな、なんて思ってくれたら良いですけど…

 

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