猫ちゃんたちのパジャマ・パーティー!

「名盤か、茶盤か」という問題は依然として立ちはだかる。もちろん手応えを感じる日もあるにはあるものの、そうなんでもかんでもころころころとスムーズに物事が進んでいくわけではないから、ふとした瞬間に「茶盤」という言葉が目の前に立ち現れてきて、その度に虚脱を覚える。

あまり具体的なことを言って生々しくなってもしょうがないので、ぼんやりとしたことしか言えないが、「これって砂漠に水を撒いてる状態じゃねーの」という気持ちは常にある。基本的には自分のやっていることが歯医者さんの受付でおはぎを売るかのように頓珍漢なことではないのかという不安に苛まれているから、毎晩寝付きが悪い。

あれやこれや考えたところで、疲れるばかりで良いことなど何ひとつない。すべてに対し「もうなんでも良いよ。面倒くさいし」という態度を取っていれば良いのかもしれない。しかし、「こだわりとか…ないっすよ。ぶっちゃけよくわかんなくないすかぁ?」「そうなんだよね!正直わかんないよな!(な、おまえもそうだよな?)」などと言って全ての物事をナアナアにしてヘラヘラヘラヘラしている手合に対しては、『ドライブ』のライアン・ゴズリングのように、頭を踏んづけて頭蓋骨を粉々に砕いてやりたくなるほどの苛立ちを覚える。頭に血が上りすぎて視界に赤みが薄っすらとかかるほどだ。だから自ら進んでそういう輩どもの仲間入りしようなどとは到底思わない。

経済の効率という観点から、いわゆるミュージシャンのこだわり的なものを無駄なものとして排していくことがむしろクールだとする向きがある。七面倒臭いこだわりなんかよりも、「バズ」だとか「ストラテジー」みたいなことを重要視するのが当世風らしい。そんな三流のIT社長、五流の広告代理店でも言わないであろうことを得意顔で語られても反応に困ってしまうので、できることなら控えてほしい。

ただ、そうしたいかにもスマートでリアリスティックとでも言いたげな態度への反発心から、自分たちだけが真っ当な行いをしているかのごとく振る舞ったり、自分の好きなものに対して「○○の良心」というような言い方をするのはただの思い上がりでしかない。本来的に真摯な態度というものはもっと静かで人肌よりやや低いぐらい温度を保った態度ではないのか。やはり今の自分にとって本当に必要なのは粛々と物事を信じるということだろう。

橋本治曰く天才とは「何遍でも死ねる人だと思う」とのことだ。しかし現実は、毎日毎日、何をしようと、またどんな工夫を凝らそうと、淀みに嵌った笹船のようにくるくるくるくると同じところをただただ漂っているだけだという気がして、気が滅入るばかりだが、OMSBの”Think Good”を聴けばなんとかなるという気がしてくるので、毎晩聴いている。

 

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