甘えん坊の甘い人生

このところバタバタしていてブログを書いている余裕がなかった。しかしどうしてこんなにバタバタしていたのだろう。喉元過ぎれば熱さも忘れるとはまさにこのことで、この一ヶ月、自分が何をしていたのかすっかり忘れてしまった。何かやらなくてはいけない雰囲気を醸し出しているように思われることをただひたすらこなしていただけで、まったく頭を使わずにいたから、脳の細胞がたくさん死んでしまったに違いない。こんなことならテレビでも見てゴロゴロして過ごせば良かった。

タイトなスケジュールのせいで無茶をすると、拘束される時間と疲労感から何かやった気になってしまい、その内容を吟味するということがおろそかになりがちだ。多少無理をして「よし、おれは頑張ったぞ」という気分に浸ることよりも、日頃から手を抜かないようにすることが肝要なのではないかと思った次第であるが、きっとスマートな方は良い年をして何を今更言っておるのだと鼻で笑っていることだろう。

長年の物臭生活のせいで、物事に対して面倒臭いと感じる前に「俺そういうの好きじゃないんだよね」「俺がそういうタイプの人間じゃないってわかるじゃん」といった類の、よくわからない言い訳で自分を納得させて、やらなくても良い方向に持って行こうとする思考回路ができあがってしまっていることに近頃やっと気が付いた。

昼過ぎから雨になるという予報を知ったうえで傘を持たないで出かることがある。なぜかといえば、自分が外を歩くときには運良く雨が止んでいるだろうと考えて、傘を持っていく必要はないと判断するからだ。傘を持って歩くのが面倒なだけの話であるが、面倒に思えることを前にすると、ものごとを論理的に考えることができなくなってしまう。現在、玄関には10本以上のビニール傘が置かれていて、すこぶる邪魔なはずであるが、なぜだか視界に入ってこない。

症状の悪化はさらに進んでいるように思える。対処しなくてはいけない事態に気づかない体質になっている気がしてならない。現に、排水口に髪の毛が溜まっていてシャワーを浴びる度に足湯状態になる風呂場のことだって、よく考えてみないと、それがどういう状況なのか認識することができない。だから最近はリハビリのためにいろんなことに対して積極的に面倒臭いと感じるようにしている。何とも情けない話だが、現状はそのようなレベルの低いところにいるのだから仕方がない。

何に対しても面倒くさいと思ってしまう性格とオリジナリティ溢れる人物でいたいという願望がかけ合わさるととんでもないモンスターが生まれるよなぁ、としみじみ考えてしまう。とんでもないモンスターというとなんだかスケールが大きそうだから、犬も食わないしょうもない妖怪としておこう。通常で考えたらマイナスである点だろうと己の特徴付けのタネとし、このように嬉々として人に話して元を取ったような気になっているが、結果としては何もしていないし、何も生み出していない。ここに感傷というものが加わった日にはもはや目をあてらないことになるだろう。こういう性質がいか馬鹿げているかということを高校生ぐらいで気づいておきたかった。そんなことを今更言っていてもどうにもならないので、今は日常に潜む面倒臭いものをちゃんと捕まえていくほかになす術はない。

捕まえたからといって対処するかどうかはまた別の話である。昔、ある人が言っていた「自分に甘い人には甘い人生が」という言葉が今でも忘れられない。

 

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