Guilty Pleasuresとは

先日、「無人島レコード」を公の場で発表する機会をいただきました。音楽好きの間では定番の質問ではありますが、今まで実際に尋ねられたことは一度しかありません。そのときは単純に好きなアルバムを挙げて終わりました。そのときに挙げたのはハース・マルティネスの「ハース・フロム・アース」とジョー・ママの「ジョー・ママ」の2枚。その質問をした大学の先輩は答えを聞いて「おっさんかよ」といって笑っていました。

今回も捻りの利いた良い答え方など浮かばず、好きなアルバムをわりと真面目に答えました。3年くらい前、暇な時に選定した「心の名盤オールタイムベスト100」の中から「無人島」という前提を加味した上で3枚選びました。

 

無人島 ~俺の10枚~ 【トリプルファイヤー 編】

昔から好きなミュージシャンがどんな音楽を聞いているのか気になるほうなので、こういう企画は大好きです。ただもうちょっと下衆っぽい興味が湧くこともあります。「人にはちょっと言いにくいけどついつい聴いてしまう好きな曲」というのが気になったりもします。そんな企画があればいいのになと考えていたときに、ある外国の言葉を思い出しました。

とあるライブの打ち上げで日本在住のアメリカ人と同席することがありました。20代前半、英会話教室の講師である彼は企画を主催したバンドの友だちとのことでした。

我々のライブを見てくれていた彼は、私に「ナイスだったよ」と声をかけてくれました。どんなギタリストが好きかという話題になり、私はエイモス・ギャレットと答えると彼はその名前を知らないようでした。マリア・マルダーの「真夜中のオアシス」でソロを弾いている人だと言ったら、合点がいったようでメロディーを口ずさみ始めました。お父さんの”Guilty Pleasures Mix”でよく聴いた曲だから知っていると言います。

“Guilty Pleasures”という言葉が気になり彼に説明を求めました。聞けばどうも日本語でいうところの「わかっちゃいるけどやめられない」というような感覚のものでようでした。休日に二度寝三度寝をして昼過ぎまで寝てしまうだとか、夜中にスナック菓子を一袋食べてしまうだとか、1日履いた靴下の臭いをかいでしまうといった、やましさを感じながらもついついやってしまうことを英語で”Guilty Pleasures”というそうです。自分を例に出すと、以前、ブラウザゲームというインターネットブラウザ上で作動するミニゲームで1日を浪費することがありました。長時間プレイしていると脳から気持ちの良くなる汁が分泌されている気がして止まらなくなってしまいます。ドラクエやFFといったゲームをやり込むのと違って話の種にもならないし、恥ずかしいので人に言うことはまずありません。

それに似た感覚でついつい聴いてしまう音楽とは一体。例えばどういうものがあるのか尋ねると、彼はルパート・ホルムズの”Escape (The Pina Colada Song)”という曲を歌ってくれました。しかもワンフレーズごとに日本語訳もついてきます。さすがは英会話講師。

トロピカルなムードの漂うAORです。AORといえば今でこそ「ヨットロック」という間抜けだがどこか愛らしさのある新たな呼び名を得て一部の好事家に愛されていますが、それでも未だに「ダメな音楽」の代名詞として認識している人は多いです。

79年のヒット曲で、ビルボード・チャートで1位を記録。彼のお父さんは、先の「真夜中のオアシス」とともにこういった若い頃に聴いていたヒット曲を”Guilty Pleasures Mix”にまとめてドライブ中に聴いたり一人で熱唱したりしているのでしょう。

それを単に「懐メロ」と呼ぶこともできましょう。しかし「懐メロ」と言ってしまえば、それはもはや居直りでしかありません。”Guilty Pleasures”という言葉に含まれる照れくささや恥じらいの心が大事で、その申し訳無さそうな素振りがなんとも言えない愛らしさを催させます。

自分が好きなものは胸を張って好きと言うべきだという向きもあるでしょう。お仕着せの価値観に囚われず良いと思ったものを素直に良いと言うのが美徳とされています。たしかに好きなもんは好き!と言い切ったほうが細々とした根拠を羅列するよりも遥かに説得力をもつ場合もあります。ただ、大見得を切るのは確信に満ちた人がやるから迫力が出るのであって、自分のような小心者がやましさを押し殺して「好きなもんは好き!」と凄んだところでそれはやはり居直りでしかありません。これではフォーク並びに気づかないふりをして空いたレジに飛び込むオバサンとやっていることは大体同じです。

そういう意味で”Guilty Pleasure”について考えることは自分に対する検討にもなります。やましさとはタブーを犯すときに感じるもので、タブーは自分の外側にあるものとの関係の中に生まれるものですが、それを暗黙の了解せず一度明文化してみることで、自分を規定する枠組がどういうものなのか把握していこうという試みにもなるのです。

自分を取り巻く枠組みを把握することは自分の立ち位置を明らかにすることでもあります。それは他人に対する配慮をもつことと同じです。例えばあなたが誰かと駅前など人の多いところで待ち合わせしていて、人混みのせいで相手の姿を確認できず、携帯電話で「どこにいる?」と尋ねたときに、相手が「ここだよ」としか言わなかったら困りませんか。

所在に対して検討することは見識をもつことでもあります。ただ見識には気位や見栄という意味もあるので疎まれる傾向にもありますが。

さて、くだくだしく能書きを垂れていますが、これが何なのかと言ったら”My Guilty Pleasures Mix”を発表するための前置きでしかありません。結局これがやりたいがため。こんなことに付きあう羽目になった人へ言いたい。本当に申し訳ありません。

というわけで、”Guilty Pleasures Mix”もとい「やましいところがあって人に言うのが憚られるけれど好きな曲リスト」です。早速行ってみましょう。

アメリカのドラマGleeで再会した曲です。同性愛や身体的な障害、妊娠、薬物、肥満といった十代の肩には重すぎる問題に対して、歌と踊りで明るい見通しをつけてくれるのがGleeですな。ザッツ・エンターテイメント!Gleeを前にして「このバカちんが!」と怒鳴ることも愛の授業も必要ありません。

主役級であるところのフィンはアメフト部の花形選手ですが、そんな彼がスクールカーストという枠組みの中でコーラス部に所属して歌ったり踊ったりすることは”Guilty Pleasure”でありましょう。しかし、気持ちのよい歌と踊りには”Guilty”を吹っ飛ばす力があります。

Gleeは今まで遠ざけたり素通りしてきた音楽と再会させてくれたりもしました。まさか産業ロックの筆頭格ジャーニーの“Don’t Stop Believin”に涙する日が来るとは思いもよりませんでした。

「ブリちゃん」の”Toxic”もそんな曲の一つです。Gleeではシュー先生とグリー部の面々が全校集会でこの曲を歌います。あまりのセクシーさにあてられて生徒たちは大興奮。騒ぎを見かねたスー先生は警報のスイッチを叩き一言。「ブリトニー・スピアーズ仕込みのセックス・ライオットだね!」

ハイパースムース!クワイエットストームどころの騒ぎじゃないですよ。エクストリームラグジュアリーですよこれは。スティービーの天才によるこのコードワークは薄暗がりの中で微細な光を明滅させるシルク製のシーツのような耳触りです。マイケルの歌唱も耳で味わうシャンパンといった風格。歌詞に”Angel”と”Heaven”という単語が出てくるのもポイント高し。ああもう一生聴いていたい。自分の葬式でも是非この曲を流してもらいたい。

この悦びをやましく感じるのはラグジュアリー志向という「本音」の部分が顔を出すからでしょう。バブルという産湯に浸かって育ったためか未だ自分のプチブル的感性に折り合いをつけることができないでいます。しかし日本には「ボロは着てても心はクインシー」なんて格言もあります。ご存知でした?

1999年のヒット曲であります。中学生の頃に「夏休みミックス」というのを作りましたが、そこにはもちろんこの曲も入っておりました。この曲ほど夏休みの朝にマッチする曲はないでしょう。他にはインキュバスやレッチリ、311、サブライムなどが入っていたと記憶しております。やっていることが今と変わりません。当時はこういう音楽を生むアメリカ西海岸の風土に憧れたものです。

思春期も中頃に迫ってくると、脳天気で軽佻浮薄な音楽よりも、シリアスで重厚謹厳な音楽を欲するようにもなりましたが、二十歳前後で軽妙洒脱という言葉を覚えてからはまた違った見方もできるようになりました。それは「精神性」よりも「心意気」のほうが自分にとって重要になったということでもあります。

“Every Morning”についてですが、この曲はヤング・ラスカルズの「グルーヴィン」とか、ラヴィン・スプーンフルの「デイドリーム」といったポップスの流れを汲んでいると個人的には思っております。弛緩しきらない程度の脱力加減がたまらなく好きです。何事にもシマリは大事です。

60’sポップスと比べると70’sポップスの評価はガクンと落ちます。アメリカ映画では70年代のポップスはギャグとして使われがちですが、それでもふいに耳にするとグッと来る曲もたくさんあります。カーペンターズの諸作(「遙かなる影」はマイ・オールタイム・ベスト・トラック!)を筆頭に、ギルバート・オサリバン「アローン・アゲイン」、シカゴ「サタデイ・イン・ザ・パーク」、バリー・マニロウ「涙色の微笑み」、アルバート・ハモンド「カリフォルニアの青い空」、エルトン・ジョン「可愛いダンサー(マキシンに捧ぐ)」、などなど。ブルース・ジョンストンの「ディズニー・ガール」が好きな人とか心当たりはないですか。

幼いころに伯母のホンダ・シビックに乗るとこういう曲がよく流れていました。住宅や自動車の購買層である親の世代に向けて、コマーシャルなどでも70’sポップスがよく使用されいます。世代間の断絶は若者文化のひとつのテーマですので、親の世代がよく聴いた音楽に対してゲンナリしてみせることがマナーとなっていますが、マナーを破るというのも若者文化のテーマのひとつです。

「高田馬場のジョイ・ディヴィジョン」としてこの曲は捨て置けませんな。どこかブリルビルディングの香りがすると思ってクレジットを見たら納得。セダカ&グリーンフィールドのペンによる75年のヒット曲です。シンセが可愛い!

バンドのデモを作るのにGaragebandというソフトを使用しています。このソフトにはエフェクターがいくつも用意されているのですが、ギターにディストーションをかけてしまった日には延々ペンタトニックのフレーズを弾きまくるか、往年のハードロック・名リフ大会が行われることになります。デモ作りが煮詰まっている証拠なんですが。これもひとつの”Guilty Pleasure”と言えるでしょう。初めて買ったギター雑誌がヤング・ギターという出自がありますので、ついついそういう面が顔を出してしまうのです。何がストイックだよ、ちゃんちゃらおかしいや!という話です。

ところで皆さんは「アルゴ」という映画をご覧になりましたか?私は映画館へ観に行きました。ストーリーの中でCIA職員のベン・アフレックがハリウッドへ飛ぶシーンがあるのですが、そこでヴァン・ヘイレンの「踊り明かそう」が流れるのです。これがまた実に気持ち良く響いてくるので驚きました。ギタリストというのは部屋に篭ってシコシコ練習するのが常であります。ヴァン・ヘイレンはそういう人たちのお手本として聴かれることが多いし、現に私もそういう位置づけでしか聴いておりませんでした。しかし、この映画での演出をきっかけに考えが改まりました。窓を閉めきった部屋で聴くヴァン・ヘイレンはヴァン・ヘイレンにあらず!窓を開けて外の空気を取り込みながら聴かなきゃダメなんだと。

さすがはプロデューサーのテッド・テンプルマンがらみで「ヨットロック」本編に出てくるだけのことはあります。西海岸スムース文化をハードロック方面で担っていたのがヴァン・ヘイレンなのです。ギターを捨ててビーチへ繰りだそう!ステイスムース!

 

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