ダイスを転がせ

※これは2006年12月31日付mixiの日記を加筆修正したものです。

人生には生老病死の四苦に加え、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の八苦があるそうな。そんなことが昔読んだ仏教の本にも書いてあったし、たしか町田康の小説にも書いてあった。四苦八苦のうち、一番印象的だったのは「怨憎会苦」。これは嫌いな奴に会わなきゃいけない苦しさのことだ。やっぱり嫌いな奴に会うのって相当辛いよね。めちゃくちゃわかる。

とまあそんな具合で、生きているだけで苦しいことだらけ。つらい。嫌なことが多過ぎる。そこで思いついたのが自傷行為。俺は鈍行で帰省することにした。

のんびり鈍行列車の旅。駅弁を頂いたり、車窓から見える風景を楽しんだり、隣に座った人と世間話したり、音楽に浸ったり、そんなことをしている余裕はないと思え。本当は何時間も電車に乗ってたくないが、今回のテーマは自傷行為だからできるだけ苦しいほうが良い。

まず時刻表を買ってきて計画を立てた。この作業は深夜にニヤニヤしながら行われた。

なんとしても始発に乗りたかった。始発に乗るのはいかにも旅の始まりという感じでクールではないか。さらにどうしても東京駅から東海道本線に乗りたかった。品川ではなくあくまで東京。東京駅から出発することだけが紛れもない旅の始まりであるといえよう。

東京まで行く方法には悩まされた。いつもなら東西線で大手町まで行き徒歩で東京まで行くのだが、これはあまりクールではない感じがした。地下鉄では旅らしさが出ない。だから中央線で行くことにした。東中野まで歩いて始発に乗る。完璧だ。

三日連続でバイトした翌日が出発の日だった。バイトが終わって家に着くと午前2時半だった。一度寝たら絶対にめんどくさくなってのぞみ指定席で帰りたくなる。このテンションを維持したまま行かなければならない。

適当に準備を済まして、ゴミを出して洗い物してるとき胸の高鳴りが聞こえた。「いよいよ、出発だね」 頭の周りを飛び回る手のひらサイズの妖精にそう声をかけてもらいたい気分になった。

3時55分、家を出る。4時15分、東中野に到着。4時27分、東京行きの電車に乗り込む。馬鹿でかいあのバックパックっていうの?リュックサックっていうよりバックパックって言ったほうがクールだし旅らしさがより一層感じられるからあえてバックパックって言うけど、本当にそれがバックパックなのかは自信はない。たぶんあってる。その馬鹿でかいパックバッグを持ったいかにも趣味は旅行ですと言った出で立ちのアウトドア系の人が何人かいたから、「お、お仲間ですね」という眼差しで見つめてみた。しかしいつも着ているような何系でもない中途半端な格好していたから仲間と見做してはくれなかっただろう。

4時51分、東京に到着。緑の窓口がまだ開いてなくて 困惑した。土産でも買うかと思っていたが、お店も開いてなくて困惑した。仕方なく構内をうろちょろうろちょろして時間を潰した。5時30分に緑の窓口が開くみたいだったから、それまで八重洲の吉野家で腹ごしらえした。未だに吉野家のお勘定システムに慣れない。店員に遠慮してしまう。

駅に戻り緑の窓口で東京→刈谷の切符(¥5,780)を購入しいざ行かん。5時46分、沼津行きに乗り込んだ。座席についたら背もたれが直角でやはり新幹線の旅とは違うと改めて思った。「でもそんなこと始めからわかってたはずだよね」と頭の周りを飛び回る手のひらサイズの妖精が呟いたような気がした。

意味も無く時刻表を開いたりして旅気分を満喫。うとうとしてたら空が明くるなってきた。6時半頃。戸塚周辺を走行中。

水平線から日の出が見えたら良いなと考えていた。しかし、 藤沢や茅ヶ崎といったいかにも海が見えそうな辺りでは建物しか見えずがっかりだった。「ママ!僕たち海の上を走ってるよ!」と元気な子供の声に起こさて、窓に視線を移すと金色に輝く水面が。我々その上を滑っている。みたいな感じを期待していたわけ。だからとってもがっかりしたんだ。また、向いの席のいかつい野郎が股をおっ広げたうえに浅く座ってやがったから俺は狭い空間を足を揃えて行儀よく座っていなければならなかった。くわがたに捕らえられる寸前の小さい虫みたいな感じ。それに加えエアサロンパス臭かったのでうんざりだった。そんな調子で腹を立てていたら、6時54分、大磯にて朝日が見えた!これだ!これを待っていたのだよ。さらに、7時05分、国府津にてばっちり海が見える。水平線ってすごい。興味深い。

7時15分。太陽が燦々と輝いており俺の力も湧いてきた。年末の太陽は違う。初日の出にむけて気合いが入っている。さらに7時20分、根府川で正に海の上を走っているような心持ちになった。まあ嘘だが。このエリアでは長い間海が良く見えたので満足。

7時42分、熱海に到着。ドトールで一服。ワッフルを食べた。8時05分、再び乗車。次は浜松が終着。はやくも飽きてきたので読書をすることにした。8時30分頃、向いの席にいた男性が慌てだしたので何事かとを思い様子を伺っていたら、男性越しに窓の向こうに見えたのはフジヤマ!ヘルイェァ!

富士山。やはり大きい。男性は向いの窓に近付きデジカメで撮影している。周りにいたアベックやおひとりさまの女性も携帯で撮影している。こんなことがあろうかと思い、私もデジカメを持参しているのだよ。でもさでもさ、今立ち上がって撮影したら皆の二番煎じになってしまう。付和雷同のしょぼい人間の一人だと思われてしまう。どうしたもんか。けれども今撮影しておけば、帰って友人と会ったときなどに、「ほら。これ見てみ。」「おお。富士山やんけ!」「ははは、どうよ?」「オマエってやっぱりスゲェな!」という会話がなされるキッカケとなる。あああ、どうしようどうしようと頭を抱えていたら富士山は遠ざかっていってしまった。まあ良い。今度登ればいいや。それが東太子の浦での話。

「静岡で後ろの4両を切り離すから静岡よりもっと先に進みたい人だけ前のほうの車両に来て」といった内容のアナウンスが入った。俺が乗っているのは後方の車両だったのであたふたした。周りの人たちは立ち上がり俺を置いて前方の車両へ去ってゆく。時刻表を見て、「まぁ静岡でおりて30分ほど休憩するのも悪くない。トイレ行きたいし」ということで、9時19分、静岡にて下車。トイレへ行ったところ気が変って、やっぱり今乗っていた列車で浜松まで行こうと決心し、小走りで階段を駆け上がり、再度乗車。そうしたら人がいっぱいで座れない。立っていたら旅らしさが感じられないじゃないか。

9時24分、発車。 それからおよそ一時間立ちっぱなし。読書して過ごす。

10時36分、浜松に到チャックベリー!立ち食い蕎麦を食べた。10時56分、大垣行きへ乗車、発車。豊橋から快速になるらしい。せっかく今まで各駅停車にしか乗らないできたのだから豊橋で降りて、11時39分の豊橋発岐阜行きの普通列車に乗り換えようかと迷ったが、眠いのでやめた。ここまでくるとさすがに疲れた。もうどうでもいいよ、普通だろうが快速だろうが新幹線だろうがさぁ!新幹線、てめぇサイコロいくつだよ?!4個だあ?のぞみは5個だあ?!こちとら1個じゃボケェ!

うとうとしてたら愛知県に入っていた。「ついに到着だね」と頭の周りを飛んでいる手のひらサイズの妖精が呟いたら良い感じだろうなと思った。

11時56分、ついに刈谷に到着。虚無感に襲われる。富士山の心残りのせいか、何か記念撮影的なことがしたくなり、せっかくだからと東京→刈谷の 切符を改札の前で撮影した。さあ真っ赤な名鉄の電車に乗って家へ帰ろう。碧南行きは2両しかない。中はガラガラ。帰ってきたなぁという気分に浸れるから結構。

家についたのは午後1時少し前ぐらいだったと思う。東京の家を出たのが3時55分だからおよそ9時間くらいの旅だった。 計画を立ててるときに何人かの人に鈍行のつらさを聞いていたが、言う程つらくなかった。お尻も腰も痛くならなかったし。 だから大して自傷行為にならなかった。むしろ楽しかった。 俺は自傷行為がしたかったのに。これでは求不得苦ではないか。 苦しい。そこでまた自傷行為の旅が始まる。俺たちの旅は始まったばかり。

ちなみに、BGMは家を出るときに『プリーズプリーズミー』を聞き始めて、『ウィズ・ザ・ビートルズ』『ビートルズがやって来る、ヤァヤァヤァ!』と聞いていって、家に着く寸前では『アビーロード』の「ジ・エンド」が流れていた。綺麗におさまった。レット・イット・ビーはどうした?(キャベツはどうした?的なリズムにのって)

 

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