最近観た映画

Filmarksという観た映画を記録するアプリをご存知だろうか。2015年からこのアプリを使用して劇場で観た映画の鑑賞記録をつけている。DVDやストリーミングで観た映画は鑑賞メーターというサイトで記録をつけているが、サイトの調子が悪くなることがたまにあり、こちらの記録はおざなりなっている。

Filmarksは5点満点で採点ができるようになっており、さらにレビューを添えることもできる。本来の使い方としては食べログのように個人の感想をシェアするものなのだろうが、そういう使い方はしていない。採点もせずレビューもせずにFilmarks上で「観た」ことだけをシェアしている。

食べ物を食べていて心から美味しいと思うことは稀である。一方で、あまり美味しくない、というか端的に不味いと感じることは多々ある。例えば自分が作った料理などはあまり美味しくないと感じる。

正直に言って美味しいということがよくわからない。わからないが、辛うじて美味しくない、すなわち不味いと感じることはできる。であれば、何かを食べてこれは決して不味くはないと感じたら美味しいと思ってしまえば良いとも思うが、それはそれでなんだか寂しい気もする。

食べ物に関して強く喚起されるのは「また食べたい」という欲求だ。食べたいという欲求を持ち、実際に食べてそれを満たすだけというサイクルの中にいるといって良いだろう。また食べたいと感じた料理のことを美味しいと言えば良いとも思う。けれども、また食べたいという感情は事後的に発生するものだ。我々が「美味しい」という言葉を聞くのは料理を食べている最中ではなかったか。

話を映画にうつすと、映画の場合はさらに進んで、観ていてもおもしろいとかつかまらないとか良いとか悪いといったことがよくわからない。皆がどういう基準で判断を下しているのか不明である。物語を咀嚼する力が乏しく、話の筋を追うのにも一苦労で、隠喩に気づくことなどほぼないといって過言ではない。撮影や編集といった技術的なことにも明るくない。人と話していて映画の話題になることがあるが、よほど趣味の近い人でない限り、言っていることにピンと来ないことが多い。そんなことを改めて考えてみると自分がなぜ映画を観ているのかわからないが、観たいという気持ちだけは現実的な手触りがある。なぜ映画を観るのかという問いに対しては、観たいからとしか答えようがない。でも娯楽と接するときの心なんて基本的にはそんなもんだよなあと改めて感じたりもする。

そんなことを言いつつ、Filmarksのレビューを書いてくださいと人から言われたので、軽い気持ちで「じゃあ書いてみよう」と思ったが、Filmarksに寸評を書きはじめると、作品ごとに文章の量が違ったり、レビューを書かない作品が出てきたりすると体裁が悪くなりそうだから、このブログ上で気ままに書いていくことにした。自分が映画について何か書けることなんてあるのだろうかという虚無と付き合っていくための訓練の場にしたい。なけりゃないで良い。というかたぶんない。そもそも対象がなんであれ書けることなんて何一つない。

『レッド・スパロー』

主演のジェニファー・ローレンスは『世界にひとつのプレイブック』を観て以来ファン。といっても全ての出演作をフォローしているわけではないが。あの不機嫌そうな表情に惹かれる。

ジェニファー・ローレンスはロシアの女スパイ。女スパイといっても、ジェームス・ボンドやイーサン・ハント、ジェイソン・ボーンのように華麗なアクションを繰り広げるわけではなく、色気を駆使しベッドの上で要人や敵国の諜報部員から情報を聞き出すというのが彼女の仕事である。

主人公は元々バレリーナだったが怪我を負いバレリーナ人生を諦めることになる。同居する病気の母を世話しなくてはならないのだが、国からの支援を打ち切られることになり危機的状況に。そんな中、諜報機関で働く叔父の手配により、母を半ば人質に取られる形でスパイ養成所に入所することになる。この養成所というのがハニートラップ関する技を習得する場となっており、他の候補生と机を並べてハードな内容のポルノを見たり、人前で裸にさせられたり、さらには性交させられそうになったり、隠しカメラで撮影された自分の性交の様子を品評されたり、人としての尊厳を捨てるための訓練を徹底的に受けることになる。

とまあ、読んでおわかりの通り、漫画でいうところの大人向けの劇画的な内容なのだが、これを監督のフランシス・ローレンスが重厚に撮るものだから、かえってその荒唐無稽さが悪目立ちしてしまっているように感じた。脇を固める俳優たちも、ジェレミー・アイアンズ、シャーロット・ランプリング、キーラン・ハインズなど渋いところを揃えているから、シリアスな場面はよりシリアスにならざるをえない。しかし、それがかえって冗談のように見えてしまう。それは彼が数本監督を務めた『ハンガー・ゲーム』シリーズとも共通するところである。

暴力描写が度々挿入されるが、痛そうなシーンが苦手だから観ていて卒倒しそうになった。例えばスパイ映画で、敵に囚われたスパイが体を縛られ拷問を受けることになる場面で、物々しい拷問器具のコレクションがいかにもサイコパスでございという感じのニヤつきとともにスクリーンに映されることがよくある。この後の展開でありがちなのは、拷問シーンを直接見せることをせず、重たそうなドアをカメラが映し、叫び声だけを聞かせるというパターンだ。それが映画的な表現の基本といって良いだろうが、『レッド・スパロー』では拷問シーンをしつこく映す。本当にしつこい。クローネンバーグやレフンの暴力描写に触れたときのように「あなたお好きですねえ。いいですねえ。」と思うことも特にない。思うに監督は性描写や暴力描写が苦手なのではないか。苦手だからこそ逃げてはいけないと息巻いて取り組むから、いささか露悪的な表現になってしまうのではなかろうか。なんて指摘したところで下衆の勘繰りでしかない。クローネンバーグなんかは、そういう描写の取り扱いがものすごく冷淡で、それがむしろエロかったりもする。

しかし、ジェニファー・ローレンスが下衆な男どもに鉄槌を食らわしていく様は快感ではあった。欲を言えばもっと即物的なかかと落としでもくれてやればこちらの溜飲も下がったものだが。

映画は後半より、ジェニファー・ローレンスが一体何がしたいのかわからなくなる。それがサスペンスになっている。しかし情けないことに途中で寝てしまい終盤何が起こっているのかよくわからなかった。種明かしのために回想シーンが挿入されるが、これがどうも鈍臭く感じてしまった。

ジェニファー・ローレンスはいつも通り全力で仕事をしていたが、『パッセンジャー』と同様に、空回りしているようにも見えた。もちろん彼女にその責任はない。

スパイ残酷物語という点で、ジョン・マッデンの『ペイド・バック』が思い出された。これがなかなかに陰惨な話だった。暗くてジメジメしたスパイ映画だ。あの虫も登場する。同監督の最新作『女神の見えざる手』にも同じ虫が出てきたからよほど好きなのだろう。ひとたびあの虫が登場すると、オセロの白と黒が一気に入れ替わるかのように、その映画は虫の映画になってしまう。自分の中で。

また地味なスパイ映画という点から『誰よりも狙われた男』を思い出した。この作品の監督のアントン・コービンは過去にニルヴァーナの”Heart Shaped Box”のMVを撮影したこともあるMV畑の人なのだが、そんな出自を感じさせないようなひたすら地味で渋い映画を撮っていて好感が持てる。

寸評のつもりが長くなってしまったからこの一本にとどめておきたい。今後続けるかは不明。続けない気配が濃厚。でも文章にすることで映画が自分の手に負えるものではないと逆説的に顕在化するこの感じはハマりそうといえばハマりそう。

 

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