ザ・インターネット 2019

トラップをリズムの面から考察する記事を1月23日の夜に公開すると反響がありました。ありがたいことです。

知り合いの知り合いの知り合いぐらいの関係の方がブログの記事を紹介したツイートをファボなしリツイートしていたので、嫌な予感を抱きつつ、ついついその方のつぶやきを読んでしまいました。案の定エアリプで記事の内容に関して批判的なことを書いており、それが想像以上に堪えて、金曜日に友達と喧嘩してしまった小学生のように暗い気持ちでこの土日を過ごすことになりました。インターネットを利用するのならタフでなければならないという基本的な原則を思い出させてくれる出来事でした。

最近は2000年代初期のようにブラクラを喰らったり架空請求されたり匿名の掲示板やチャットで突然「死ね」と言われたりといったこともないので、インターネットが決してピースフルな空間ではないという事実をすっかり忘れていました。そもそも自分もネット上での誰かの言動を腐したり揶揄したりするなど、ネット弁慶的な振る舞いをしがちなのでどの口が言うのかという話なのですが。批判されること自体は何の問題もないし、むしろ良いことであるとすら思いますが、インターネット19年目にしてまだまだナイーブだった自分に情けなくなった次第であります。

そんなことがあったので、なるほど、2ちゃんねらー(5ちゃんねらー?)的なニヒリスティックな振る舞いはジャングルのように苛烈な環境のインターネットにおいて自分の身を守るために洗練されていったものなのだなあと改めて考えざるを得ませんでした。批判を受けたときに2ちゃんねらーのように振る舞えば少しは気が晴れるだろうと感じました。以下、先のブログの件とはあまり関係のない話になります。念のため。

2ちゃんねるなど所詮便所の落書きに過ぎないというコンセンサスが利用者の間で取れており、普段の生活圏で同じようなことを言ったら白眼視されるという認識があるうちは良いのですが、2ちゃんねらー的ニヒリスティックな態度は 一般の生活空間においてもそれなりに汎用性があるために、それを内面化したのちに、2ちゃん的な価値観に則した言動を取ってしまいがちだから厄介です。ストレスを感じたときなど、防衛反応としてついつい2ちゃんねらー的な態度を取ってしまうことがあります。例えば自分が愛着を持っているものに自分よりももっと詳しい人が現れたときなど。

私は自分で自分のことを音楽に詳しい人だとは思っていません。なぜなら幸運なことに自分など相手にならないほど音楽に造詣が深い人をたくさん知っているから。とは言えども、それなりに明るいといえば明るい。 まったくもって詳しくないと言い張れば嫌味になってしまうほどには。だから思わぬ攻撃をされることが度々ありました。「権威主義」だとか「詳しい自分に酔っているだけ」だとか。こういうことを言う人物が決まって2ちゃんねるのまとめブログのことを頻繁に話題にしていたことが印象に残っています。

スマートな人に対して一見意地が悪いような印象を抱いてしまうことはよくあると思います。ただし、意地悪だからといって決して頭が良いというわけではない。意地悪な馬鹿は短絡的なのでそこを履き違えがちです。 そんな適当な話がまかり通ってたまるものか。 意地悪な馬鹿は便利な言葉を覚えると馬鹿の一つ覚えでそれを使って何か言ったような気になっている場合が多いです。いわゆる紋切り型表現です。例えば「権威主義」だとか「詳しい自分に酔っているだけ」だとか「〇〇に親でも殺されたのかな?」だとか「△△とかいう自称○○」だとか「一部の意識高い人が騒いでるだけ」だとか「『耳の早い音楽ファンの間で流行ってます』みたいなリスナーの自意識の拠り所になってる感じの人たち」だとか。こうなってくるとAIのほうがまだ気の利いたことを言ってくれそうなものです。意地悪な馬鹿、性格の悪い馬鹿、恐るるに足らずであります。

2ちゃんねらー的ニヒリズムは我々から気力を奪い、お馴染みの定型文を繰り返してただ単に現状追認しているだけのものぐさで安っぽい皮肉屋を増やすことになったと言って過言ではないでしょう。ニヒリズムは誰だって扱えるような代物なのですが、それを使うことによりなんだか賢そうに振る舞えるのでルサンチマンを抱えたものぐさなレイト・ティーンズは必ず飛びつきます。かつての私もそうです。そういう経験もあるので、失礼な話ですけど、三十を過ぎたというのに未だ2ちゃんねる的なニヒリズムを後生大事にしている人物を見ると、アッ!愚か者だぁ!と思ってしまいます。馬鹿が伝染るので一定の距離は保っておきたい。こうした手合を相手にしていると時間を持って行かれるし、生きていく活力を奪われるだけです。

彼らが対象を揶揄したり腐したりできるのは自分は何もしていない、またはしていることを明かしていないという前提があるからです。人のやることを何でもネタ的にイジって散々小馬鹿する一方で、自分のやっていることはネタではなく良心に従ったマジ中のマジなもの、ピュア中のピュアなものであると信じることはあまりにも虫が良すぎます。2ちゃんねらー的態度と矢面に立って本気になって何かをすることは必ずコンフリクトを起こします。そのコンフリクトに対してあまりにも鈍感だから彼らは愚か者なのでしょう。

我々が大好きであるところの映画『ダークナイト』に登場する我々が大好きであるところのあのトリックスター、ジョーカーが万が一釈明とともに命乞いを始めた日には我々は大いにがっかりさせられるでしょう。他人を散々小馬鹿にしたり煽ったりした者が、逆の立場に立たされたときに狼狽える姿はあまりにも惨めです。ジョーカーの魅力はその大胆さにあります。それは自戒を込めたり、折を見て自虐ネタを挟むなどして人から嫌われないように予防線を張ったりしないからこそ輝くものです。彼の取り組みはネット上のユーモアセンスに恵まれた小市民のようにみみっちいものではありません。ネット上でジョーカーのように振る舞いたくて失敗した人たちのせいでジョーカーという存在それ自体がダサいものになりつつありますがジョーカー本人に罪はないはずです。

2ちゃんねる的なニヒリズムは平成の負の遺産として次の年号に持ち越されるでしょうが、今後も若い世代から「ネットでイキっている惨めなおっさん」「サブカルをこじらせたおっさん」として石を投げられ続けることは火を見るよりも明らかです。自分の知性の欠如を棚に上げて、大した努力もせずに、努力する人を見下し、嘲笑い、賢しらな態度を取り続けていたのだから道理にかなったことです。彼らに比べたら肚の据わった老害のほうがよっぽど愛すべき存在のように思えます。

大学生の頃は毎日のようにまとめサイトを読んでいましたが、今にしてみるとただ時間をドブに捨てただけという思いです。後悔だけが残っています。そもそも悪いのは2ちゃんねるではなく、己の愚かさかなのですが。それなりに志を抱いて大学に入学したはずなのに本当にもったいないことをしてしまいました。

だから今更耳の痛い意見に対して2ちゃんねらー的な態度で身を守るなんてことは選択肢にありません。ナイーブさの裏返しで凶暴なマッチョになるなんてのも論外です。謙虚で思慮深いタフガイになるしかないと思いを新たにしました。それが人から退屈と呼ばれる類のものであったとしても。

 

Masamichi Torii

鳥居真道 1987年生まれ。「トリプルファイヤー」のギタリストで、バンドの多くの楽曲で作曲を手がける。バンドでの活動に加え、他アーティストのレコーディングやライブへの参加および楽曲提供、選曲/DJ、音楽メディアへの寄稿、リミックスやトークイベントへの出演も。