「幻想の摩天楼」状態

レンタル用のDVDの冒頭には予告編が収録されている。早送りや倍速再生で飛ばしてしまうこともできるのだが、最近は操作するのも面倒に思えてきて予告編を一通り流してから本編を観るようになった。中には、おもしろうそうだなと思うものもあれば、つまんなさそうだなと思うものもある。全て観終わった頃には、虚脱とまではいかないまでも、なぜか憂鬱な気分になり、本編を観る前にぐったりしてしまう。

また、商品にポップをつけたりパネルを使って展開しているような小売店に長時間滞在していると、DVDの予告編を全て観終わったときと同じような疲労感に襲われてぐったりとしてしまう。

同様に、DVDレンタルショップや飲食チェーンの店内向けラジオ放送で流れている曲などは一度気にしてしまうとついつい意識して聴いてしまい、滞在しているだけで余計に疲れてしまう。

さらにインターネットを使って興味のある特定の物事について調べ物をしていても、有象無象の様々な意見に消化不良をお越し、途中からぐったりしてしまい、こんなことなら調べなきゃよかったとさえ思うこともしばしばある。

こういった状況のように、情報が過入力されてしまうと、スティーリー・ダンのアルバム「幻想の摩天楼」のジャケットに描かれている猛獣の形相で屹立するビル群を背にうずくまる男性のような気分になってしまう。ところで話は変わるが、あのジャケのようなイメージを携えたシティ型音楽がそろそろ出てきても良いんじゃないかと思うのだが、どうだろう。『身の丈に合った「おいしい生活」への架空請求!』みたいなコピーで誰かやったらきっと楽しいだろう。こういうのはエレガントにやるのがミソ。

SNSなど見ていると、次から次へとネットの記事を紹介するコメントが流れてくるが、それが絶対に読まなくて良いものだとわかっていても、いっちょ気の利いたイチャモンでもつけてやろうという下衆な心が働いてついついリンクを踏んでしまうという悪癖があり、これがなかなかに断ち難く、とても困っている。

音楽ストリーミング・サービスや音楽フェスといった昨今の「音楽の話題」を扱うような放談的なネットの記事に対しては、「心底どうでも良い」と言いたいがために読んでいるところがある。ストレスの種を増やして一体何がしたいのかよくわからない。下痢になるのがわかっていてもついつい辛いものを食べてしまうのと同じような心理か。まーた「音楽の話題」専門家が音楽とは一向に関係のない話をしてやんの、へへ、と言って捨て置けば良いものを。スノッブ喧嘩せずなんて格言もあるし。

だいたいああいう手合は「ネットで何か言いたい人たち」によってできた行列の先頭にいる人に過ぎず、そんな行列とは根源的に関係などないのだから、冷ややかな視線を送ることさえも無駄なエネルギーの消費であろう。

しかし本当に、その人にとって余計ともいえる情報がこの世には一切存在しないかのように振舞うことができる人もいて、そういう人に芯から憧れてしまう。身のこなしがエレガントでとても素敵だ。

思うに、余計な情報とはDAMチャンネルのようなもので、せっかくカラオケに来ているのにも関わらず誰もマイクを握ろうとしないという倦怠感に満ちた状況とともにそれはやってくるのだ。ちゃんと歌を歌ってさえいれば見なくても済むもので、普段の生活においてカラオケで歌を歌うことに該当することに積極的に取り組んでいないからこそ、自分にとって必要ではない情報に身を晒すことになる。今自分にとって歌うことに該当するものは一体なんだろう。それは『身の丈に合った「おいしい生活」への架空請求!』なのだろうか。よくわからない。でもマギーは好き。

 

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