ファンキー風ロック・セッションの諸問題

「ファンキー風ロック・セッション」というものをご存知だろうか。いや、そんなものは知らない、と云う方が多いはず。なぜならこちらが勝手にそれをそう呼んでいるだけで決して一般的な名称ではないから。けれども中には「ファンキー風ロック・セッション」と聞いだけでピンと来る方もいるかと思われる。

ファンキー風ロック・セッションとは、ライブ前のサウンド・チェックやリハで突発的に発生するジャム・セッションのことで、その音楽的な内容からこのように名付けた。なぜファンキーではなくファンキー風と呼ぶのかといえば、それがファンクについてあまり理解が及んでいない「頑固なロック主義者」から見たファンクらしきものでしかないからだ。もっといえば世間一般に流布されたファンクのステレオタイプをなぞっただけの代物にすぎない。

ファンキー風ロック・セッションでは教則本に登場する「ファンク・スタイル」のフレーズをさらに戯画化したようなフレーズが演奏される。ニュー・マスター・サウンズといったイギリスのジャズ・ファンクと呼ばれるバンドが演奏しそうなフレーズを日本のバンド・ブーム以降のリズムの感覚で演奏したようなものと説明するとわかりやすいかもしれない。

ギターでいえばナインスを半音下からスライドさせつつカッティングするパターンが一般的だろう。ベースは1拍目でルートの音を出し、その後、バックビートに合わせて1オクターブ上のルートが入れられる。3、4拍目はシンコペートしたフレーズが演奏される場合が多いが、演奏者が音価、休符、サブディビジョンといったことに注意を払わないため、ただの音の連なり、言い換えれば節のようになってしまいがちだ。彼らには音を間引くという発想がないのだろうか。ドラムはNirvanaの「Smells Like Teen Spirit」をファンキー仕立てにしてみました!とでも言うような威勢の良いパターンが多い。元々ファンキーなパターンではあるが。音量はスネアやシンバル類など上半身で演奏されるものがやたら大きい一方で、キックは音量、タイミングともにぼんやりとしている。BPMは130~140ぐらい。ファンクにしては速いテンポだ。自分の演奏で他人の演奏を活かすという考え方がないためか、はたまた単純に人の演奏の聴いてないためか、アンサンブルが噛み合うことはない。それぞれのギヤが空回りしたような躍動感のやの字もない演奏になりがちだ。こうした箸にも棒にもかからないような代物に、半開きになった口、眉間の皺など陶酔に関連性がありそうな表情が添えられているから、それを目の当たりにする我々はいたたまれない気持ちになってしまう。

なぜファンキー風ロック・セッションがこれほどまでに気に食わないのか。それはファンキー風ロック・セッションに興ずる者たちがロックがロックであること、引いては自分が自分であることに自足しきったことを表すかのようにそれを演奏するからだ。決して「ダサいから」とは言わない。大人なので。

いわゆる「バンドマン」を自称する者たちが屯する界隈に出入りするようになった頃の話だが、音楽関係者に何が好きかと尋ねられたので、JBが好きだと言ったところ、「JBみたいなことがしたい?日本人に黒人のグルーヴは出せないよ」と言われて身体中の力が抜けてしまったことがある。彼にとってその言葉は、コミュニケーションのためのコミュニケーションとして放たれたもので、それっぽい誰かの受け売り以上の意味はないのだろうが、それでもやはりこうしたクリシェが口から出てしまうことに一片の羞恥心も感じないことには驚嘆するしかない。誰かの演奏をブラインドテストしてその人種を言い当てることができるほどの繊細な耳の持ち主であるのなら少しは納得する余地もあるのだが。

「当初は黒人のまねっこから始まったものの、試行錯誤を繰り返しながら、着実に進歩し、遂には黒人コンプレックスを克服し、ロックはその独自性を獲得したのである」というようなロック史観を持っている人物からすると、古いブルースやR&B、ソウルやファンクを聴くことはどうも反動的に映るらしい。非オルタナティブな人間のように扱われることもままあった。 黒人音楽など日本人にわかるはずがないからカッコつけるために無理して聴いているに違いないと決めつけてくる輩もいた。こちらとしては、 黒人だの日本人だのごちゃごちゃ言うわりは盲目的に白人の価値観を内面化しすぎではないか、そもそもそのことに自覚はあるのかと指摘したくもなったりする。

ファンキー風ロック・セッションは意外にも、というべきか、当然のことながら、というべきか迷うところではあるが、先に述べたようなロック観を持った者によって演奏される場合がほとんどだ。日本人には云々というそれっぽい誰かの受け売りや「ファンクってこうだよね。よく知らないけど」というステレオタイプで世界が構築されていることがファンキー風ロック・セッションから窺い知れる。

ファンキー風ロック・セッションはテレビのバラエティ番組的な場のあり方と類似型といえよう。 そうした場においては、 コミュニケーションの効率化のためにファンクはファンキーなキャラを与えられ、誰もが安心して聞いていられるような自己言及的なギャグを言わされ続ける。ファンクのもつ可能性、別のあり方、未知なる部分など存在しないかのごとく振る舞うことを要求される。なぜなら経済的ではないからだ。どのようなことを考えているのかよくわからない人物と話すことはそれなりに骨の折れることだから仕方がないといえば仕方がない。けれどもやはり仕方がなくはない。

「おもしろネタ消費」の力学に抗うがごとくロックがロックであることに自足しきった状況にも抗っていかなくてはならない。なぜならそれは全くフレッシュではないから。パン食い競走ではないが、届かないかもしれないという不安を懐きつつも必死にジャンプしている様に我々は感動を覚えるのではなかったか。無批判にロックがロックであることに自足し、また自分が自分であることに自足することは、ただ菓子パンを食べているようなものに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない。少なくともパフォーマンスとして機能はしない。パフォーマンスとして機能するようなシチュエーションを用意しない限りは。自分が菓子パンを食べている姿すらパフォーマンス、または、当世風に言うのなら「コンテンツ」になりえると考えるのは芸能を舐めているとしか言いようがない。

忌まわしきファンキー風ロック・セッションの対極にあるといえるファンキーなロックを集めたプレイリストを作成した。題して「Funky Rock」。インターネット上でよく目にするしゃらくさい「おもしろサブカルおじさん」が自らのユーモアセンスを世に問うために行いがちな「おもしろサブカルいじり芸」に暗澹たる気持ちにさせられる昨今なので、こういう芸の無さこそ今は志向すべきではないか、という思いから 「Funky Rock」 というヤバいタイトルにした次第だ。

 

Masamichi Torii

鳥居真道 1987年生まれ。「トリプルファイヤー」のギタリストで、バンドの多くの楽曲で作曲を手がける。バンドでの活動に加え、他アーティストのレコーディングやライブへの参加および楽曲提供、選曲/DJ、音楽メディアへの寄稿、リミックスやトークイベントへの出演も。