卒業

ああ 卒業式で泣かないと 冷たい人と言われそう

卒業式のシーズンでもなんでもないのだが、いきなり現れたるこのフレーズは松本隆のペンによる「卒業」(斉藤由貴)の歌詞の一部分である。「卒業」では、卒業式の日に進学か何かで東京へ行ってしまう男との来し方行く末を想う女の子の心情が歌われている。この女の子は卒業式では泣かない。さらに、そのために周囲の者から「冷たい人と言われそう」とも考えており、他人の目を少し気にしている。別に卒業式に対して冷めているから泣かないわけではない。

卒業というシチュエーションに限らず、周りが素直に行なっているようなことをしないせいで人から冷たい人とか薄情者とかネガティブな印象をもたれるのではないか思案してしまうということは往々にしてあることだと思う。

橋本治は憎悪というものに対して次のように言っている。曰く、「素直に通って行く筈の“好き”という感情をねじまげられると、これが湧く」。

「卒業」における好意は「冷たい人と言われそう」という他人の視線を想定した捻りが入ったものの通じてはいる。しかし、この捻りが過剰になり好きという感情が素直に通らない場合もある。あれをすればああ言う人もいるだろうし、これをすればこう言われるに違いない、などと思案するうちに神経を磨り減らし、周りからはスレた人などと言われるようになる。憎悪が外側に向けば皮肉でもって発散させられ、内側に向いた場合は自虐や卑屈という形で現れる。

「卒業」の女の子の好意が素直に通っているのは自分と相手との関係に対して本来性を見据えていたからではなかろうか。自分のことだけ、あるいは相手のことだけを顧みるのではなく、その間にある関係性の糸のようなものを中心として、そこから自分と相手というものを考えていく。関係性の糸のようなものを弛ませず、千切れない程度の力加減で気持よくピンと張らせるためには、二人の距離感の塩梅がとても肝要である。

彼女はシビアに二人の行末を捉えている。さらに関係というものが固定的なものでなくて、たえず変化するものだという当たり前のことをきちんと前提にしている。

でも もっと哀しい瞬間に 涙はとっておきたいの

「卒業」の女の子が卒業式で泣かない理由は上の通りだ。 この先の「もっと哀しい瞬間」を見据え、涙を「とっておきたい」といって保留する。それがやせ我慢であろうと、心構えは凛としており、ある意味で余裕のようなものさえ生み出していると言える。

なるほどこのような態度は素直一本槍の場において気取り屋などと揶揄されたりして「ウケ」が悪いかもしれないが、二人の関係の中に本来性を見据えることができる彼女には「ウケ」などどこ吹く風街ろまんであってほしい。

 

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